




Summer Notice
ひと昔前の日本の夏、開け放った居間には、垣根のある庭から風が吹き込んで風鈴を鳴らしていたでしょう。背の低い、首をもたげた扇風機も、ちょっとした風景でしたね。
今の夏はどんな景色でしょうか?ちょっと凉しいところが産地の花しょうぶは、石照庭園で栽培されて三十年になります。この間、地球の夏は変わった…かもしれません。
庭は、みなさんの記憶にある、もしくは探していた〝あのころの夏〟のヒントになるかもしれません。すわって、風をさがしてみませんか。
四季を彩る美しさが楽しめる
石照庭園
奥出雲の廻遊式庭園
四季を彩る美しさが楽しめる
「石照庭園」
奥出雲の廻遊式庭園
石照庭園について
「舞台装置は俳優を補佐し、演技をより容易にするために工夫されるものだ。舞台装置そのもののために、喝采や賞賛を得ようと俳優を除け者にしてはならない。」
石照庭園を設計された伊藤邦衛氏は1997年、上原敬二賞受賞を記念して受けたインタビューに、先達の言葉を引用してこうお答えになっています。
多くの児童公園を残された氏はまた、瀬戸内で山川海に親しんで育った経験から、遊具優先の公園ではなく、子どもが流水や本物の岩に触れて遊ぶ装置づくりに腐心されてきました。
俳優とは、公園で遊ぶ子どもであり、庭にあっては訪問されたご本人です。庭に一歩踏み入れたとき、「観る」と同時に、生命としての木々や小動物、無機物である岩や水に、「観られる」時間が始まります。
彼らは言葉を用いません。何か心に感じるとすれば、それは庭という舞台装置を心の鏡として用いて気づくご自身の声、もしくは縮景によって再現された自然の声です。
AIによって人類はかつて享受できなかった「全人の労働からの開放」の入口に入りました。課題であった人間性開放に、テクノロジーから差し掛かったといえるでしょう。
ではその時代にあって人間が、社会と環境に対して果たす責任とは何でしょう?
庭園はその答えをもちえませんが、舞台装置となり、主人公であるご訪問者に、問わず語りの時間を提供するでしょう。
ご訪問を心よりお待ちしております。
